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払いを考察するべきであろう。
まず、宮廷儀礼の「大儺」「追儺」は冬至後の第三の儺の日(大晦日の前日)に行われ、晦日には「大祓」の記述がある。中国の行事を取り入れ、土牛で厄払いしたという。『延喜式』などから、大舎人が目に見えない悪鬼を方相氏となって追い、大勢が従った「追儺」の様相がしのばれる。

春迎え習俗と儺

広義の「儺」の手がかりは、『年中行事絵巻』(成立には後白河法皇や信西が関与か)に求められる。「追儺」の記述は見当たらないが新年の躯邪の儀礼として白馬節会(一月七日)、御斎(一月八日〜十四日)、踏歌節会(小正月の行事で、男踏歌は一月十四日だったが十世紀に絶え、女踏歌は一月十六日 )、左義長と射礼(一月十七日)、賭弓(一月十八日)がある。年末の行事であるが、御仏名(仏名会十二月十五日)も、懴悔礼拝の年越し儀礼に含めて考えるのが妥当であろう。その他に正月の印場(石投げ)毬杖は、騒乱による邪気祓いとの解釈が成り立つ。また、正月大根は後述の強飯式や湯漬けのふるまいとの関わりも考えられ、さらに「儺」との関連は未詳であるが、園・韓神(祭礼は二月と十一月の丑の日)という外来神の儀礼の記事がある。
春迎え以外の節句の邪気払いとしては、弓矢に関連して左右近馬場の騎射(五月三日〜六日)射場始(十月五日)、印地に関連して向礫(端午)がある。

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廬山寺節分の「鬼の法業」一京都市 渡辺良正撮影)

 

祭礼の記述には、鎮火祭一六月と十二月の晦日)六月祓・安楽花・祇園御霊会(六月七日〜十四日)がある。

京都の追儺

宮廷の大儺行事の様式の名残は、京都の鬼門(東北)にあたる吉田神社の節分前夜の行事に認められる。もっとも赤・青・黄の鬼が姿を現すところは、中世以降の影響であろう。労相氏が四目の黄金の仮面、黒い衣に赤い裳、

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ジャグマが踊るるやすらい花(京都市 渡辺良正撮影)

 

熊皮をつけて、矛と盾を手に数人の振子(わらべ)を従えて、陰陽師の祭文のあと、儺声(大声)をあげて、盾矛を打ち鳴らす。上卿は桃弓に葦矢をつがえて鬼に放つ。(なお、東京都新宿区の鎧神社の節分会にも鬼ととらに方相氏が問答をする報告がある)なお、京都の節分では、四方詣として、東北以外にも東南の稲荷大社、西北の天満宮、西南の壬生寺に参詣する風習がある。壬生寺の節分にも鬼がでるという。民間信仰であるが、四方拝や四境祭などの宮廷儀礼との関りも想定できる。元三大師良源の開基とされる

 

 

 

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